ぼくはいつものように、鉄とモルタルだけで出来た粗末なバス停から降り、家にまっすぐ帰ろうとした。 「ナオミくん」 聞き覚えのある声がした。 「待ってたの」 ぼくと同じ高校の文芸部の、阪井だ。 ぼくはこの、ナオミという名前が女の子みたいで嫌いだった。 でも、そう呼ぶのが阪井となれば、話は別だった。 阪井秋生。 クラスはちがったが、学年でもかわいいと評判だった。 学内での成績もそこそこ優秀で、いわば典型的な文芸少女といったところだった。 小説よりも、どちらかといえばマンガを読むぼくなんかが文芸部にいるのは、阪井がいるからといっても過言ではない。 といっても、阪井はぼくとはこれまで、あまり話したりはしていない。というかぼくが阪井を避けるようにしている。 こわかった。 阪井に、自分の思いがわかってしまうのが。 ぼくは、正直阪井に、恋をしていた。 だけど、評判だったから、阪井を狙う男など数多くいる。 ぼくみたいな、ごく普通の、何のとりえもない高校生なんて、その中では話にも何もなりはしない。 わかっていたけど、そういう、本当のことなんか知りたくなかった。 誰かとつきあっているという噂はなかったが、たとえコクハクなんかしても、どうせ振られるに決まっているのだ。 どうせそうなるなら、思っているだけにしよう。 そう思っていた。 だから、たまに話しかけられたりしても、事務的な話で通していた。 その阪井が、なぜかぼくの家の近所のバス停近くで、ぼくを待っていた。 背中までかかる長い黒髪を、風にしなやかになびかせながら。 もちろん、ぼくはビックリしていた。 教えてもいないのに、なんでここに住んでいるのを知ってるんだろう。 そして、なんでぼくを待っているんだろう。 「……ぼくを?」 「うん」 「そう……いったい何の用?」 でも、それを隠し、突き放したように言った。 でも、はっきり言って、すっごい動揺している。 どうしよう。 「……とりあえず、歩こう。家、近いんだよね?」 ぼくはうなづくだけで、もういっぱいいっぱいだった。 「どこかに公園とか、ない?」 「……あるよ」 「じゃあ、そこ行こう?」 またうなづくと、二人で並んで歩いた。 ぼくらのいるバス通りのあたりは、たまに小さい店とかがあるだけで、あとは一軒家ばかりの住宅街だ。 そんな面白くもなんともない道を、ぼくの知ってる公園まで、ただ二人で歩く。 それだけなのに、もうぼくは背中に汗を感じていた。 夏でもないのに。 顔も上げられない。 阪井の方をちらっとみると、すごく普通にしているように見えた。 もっとも、ちらっと見ただけだから、本当のところはよくわからない。 話ながら歩いていたらいいんだろうけど、普段から話し慣れているわけじゃないから無言になるしかなかった。 坂井もまた、無言だった。 はやく公園に着いてほしい。 ぼくはただ念じた。 やがて、ぼくの知ってる公園が見えた。 「ここなんだ」 阪井が急に、明るい顔になった。 「ね、あそこのベンチ座ろう?」 ぼくに言うと、阪井はぼくの手を握り、勢いよくその場所に向かう。 「あ……ちょっと待ってよ」 あわてて一緒に向かう。 阪井の手のぬくもりが、触ったことのないような、やわらかくてあたたかい感じで、ドキッとする。 と同時に、髪の長い、いかにも文芸少女といった感じの阪井が、こんな大胆にぼくの手を握るなんて、なんだかビックリした。 なんだかフリマワサレてるみたいだった。 先に阪井がベンチに座り、ぼくは半ば強制的に並んで座った。 公園は、金網とつばきで囲われ、何本かの木とベンチ2つと水飲み場がある他は、広場があるだけの、小さいところだった。 どういうわけか誰もいなかった。遠くで小学生らしい歓声が聴こえる。 とりあえず安心したけど、すぐに不安になった。 こんなとこ、他のヤツ見られたらどうしよう。 阪井みたいなかわいい女の子と一緒にいられるのは、もちろんうれしい。 でもウワサとかになったりしたら、ぼくはもう学校には行けなくなってしまうかもしれない。 どうしよう。 そう思うとぼくは気が気じゃなかった。 「……ねえ、話って、何?」 そんな焦りを隠しながら、やっと言った。 「うん、実はねえ……」 阪井が言いかけたその時、ぼくのケータイが鳴った。お母さんからだった。 「うん……ちょっといま公園にいるよ。で、何?」 電話は、買い物がどうしたとか掃除しなさいとかそんなことだった。 要するに、早く帰ってこいと言うことだ。 こんな時に、そんな電話をかけてくるなんて。 でも、それと同時に、お母さんの言うとおり帰れば、この緊張状態から抜けられると思うと、なんだか安心してしまう自分がいた。 このまま逃げよう。 思うと、ぼくは不機嫌な声を出して電話を切り、 「ごめん、母さんが早く帰って来いってうるさいんだ」 と阪井に言った。 「えー」 「だから帰るよ」 すぐに立ち上がり、公園から出ようとした。 「待って、待ってよ」 「じゃあまた明日」 ぼくは阪井の言葉をまるで聞いてないみたいにして、そのまま公園を出た。 数分して、阪井が後ろにいないのを確認すると、速攻ダッシュで走った。 お母さんの用事を済ませ、おフロに入ってごはんを食べて自分の部屋に戻ると、とりあえずベッドに横になった。 「疲れたなあ……」 つぶやきつつ、ぼくは阪井のことを思い出す。 けっこう時間が経っているはずなのに。阪井の手のひらの感触が、まだぼくの手に残っていた。 いったい、何だったんだろう。 まさか。 ぼくは、もしかして阪井が、恋のコクハクでもしに来たんじゃないかということを思った。 状況からして、それしかアリエナイ。 でも、信じられなかった。 ぼくみたいな、小説もそんな好きじゃない。何のトリエもない男なんかに。 そんなコトなんかあるワケない。 ぼくは考えられる可能性を思い浮かべてみた。 からかわれている。何かの賭けの対象になっている。考えすぎ、その他はっきりしないもやもや……。 わからなかった。 ただ、阪井の手のぬくもりだけが、妙に残っている。 それを思い返すように手を握ったり開いたりしてるうち、なんだかぼうっとしてきた。 と同時に、ぼくのコカンがだんだんとふくらんでくるのがわかった。 枕元にあるティッシュを手さぐりで探し、何枚か引き抜くと、ぼくはズボンのジッパーを下ろした。 そして、カタくなったモノを握る。 数時間前阪井に握られた、この手で。 阪井、阪井……。 ぼくはなんとなく罪悪感を感じながらも、阪井を想ってコカンをしごく。 ああ、すぐにイッテしまいそう。 と思ったその時、窓ガラスが数回、コツンと響いた。 もう少しなのに。 気分が悪くなり、ぼくは窓ガラスから外を覗いた。 まさか。 外に阪井がいた。 手に大きな、部活で使うようなスポーツバッグを持っていた。 |
2012年2月9日木曜日
文芸少女のイソギンチャク その1
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿